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アテネの疫病 ~感染症の歴史Vol.1

更新日:9月15日

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感染症の歴史を紐解くと、「正しく知って正しく恐れる」ことの大切さが見えてきます。


今回は、紀元前430年頃アテネの黄金時代に大きな傷を刻んだ感染症に焦点を当てます。

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有史以前の感染症


はるか昔、人類は狩猟生活を中心に営んでおり、野生動物との接触や食用によってうつる細菌やウイルスが、人々の命を奪うことがありました。


やがて人類は農耕を始め、定住するようになります。


豚や鶏、犬などの家畜を飼い、農作物を貯蔵するようになった結果、ネズミなどの衛生害獣や、家畜に寄生するノミ・ダニ・シラミなどが生活圏に現れ、病原体の温床となりました。


また、人々は家畜から人へ、人から人へと感染が広がる病気を経験するようになります。


集落が水辺につくられたことで、水を介した感染症も流行しました。


水辺に繁殖する蚊が媒介する「マラリア」も、農耕の開始と同時期に流行が始まったといわれています。

有史以来最初のエピデミック-「アテネの疫病」


古代ギリシャの黄金時代真っただ中にあった紀元前430年頃二大都市国家だったアテネスパルタ「ペロポネソス戦争」に突入しました。


海軍主体のアテネは強力な重装歩兵を擁するスパルタ軍に対抗するため、指導者ペリクレスの指示で、侵攻されたアッティカ半島の住民をアテネの城壁内へ避難させ、籠城する作戦を取りました。


しかし、この作戦が仇となります。


当時、国際的な港町だったピレウスで発生した謎の病気が都市部に持ち込まれ、地方から人口が流入したことによる人口過密と衛生状態の悪化により、感染爆発が起きてしまいます。


この疫病は収束するまで5年ほどかかり、アテネの人口の約25~35%が死亡したと推定され、指導者であるペリクレス自身も命を落としました。


このように感染症が最初に急増した場所(ピレウス)よりも広い地域(アテネ)に拡大する状態を「エピデミック」と呼びます。


【エピデミックが引き起こした混乱】


・デマの拡散

スパルタ人が井戸や貯水池に毒を入れた」という根拠のない噂が広がった


・医療崩壊

患者を看病した医師が次々と感染したため、治療体制が崩壊した


・衛生状態の悪化

取り残されたまま路上や水場で亡くなる人の遺体が市内の衛生状態をさらに悪化させた


・モラル崩壊

葬儀が行えず、他人の火葬に遺体を投げ入れる、死者の財産を奪うなどの行為が横行した

原因は不明、しかし自然に収束


当時の歴史家トゥキディデス著書『戦史』の中で、この疫病のことを「ペスト」と記していますが、症状はエボラ熱にも似ており、原因は謎のままです。


当時の古代ギリシャの人々にとって、未知の病に襲われたことは間違いありません。


しかし、ワクチンや抗生物質もない時代においても、疫病は自然と収束しました。


この歴史は、現代に生きる私たちが未知の感染症に直面したとしても、必ず克服できるという希望を与えてくれます。


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